好きと嫌いは紙一重 ー破壊と創造ー

好き 嫌い家には、テレビが無いのですが、職場は一日中テレビがついているので、よく最新のニュースが目に入ります。

色々なニュースを見ていると「相手を好き過ぎて」事件になる事って多いなーっと感じるニュースをよく見ます。

「好き」っと言うエネルギーは何となくポジティブで良いエネルギーの様な気がしますが、度が過ぎるとやはりあまり良くない方向へ行ってしまうエネルギーなんだなっと思います。

「好き」「嫌い」は二極のエネルギーですが以前にも言ったのですが、極のエネルギーとは突き詰めて行くと風見鶏の様にクルッと反転するっと言う話をしました「好き」が行き過ぎると「憎しみ」が生まれる様です。

僕は昔、犬を飼って居ました。ポメラニアンで掌に乗る様な赤ちゃんの時に迎え入れましたが、とっても可愛い犬でした、所があまりに可愛すぎて「虐めたくなる」感情が湧いて来て抑えるのが大変だった事がありました。

何故、「可愛いと強く感じ」好き過ぎてしまうと、虐めたくなってしまうのか?

ココにはどうも性的なエネルギーが絡んでいる様な気がします。性的なエネルギーは「創造」のエネルギーでもありますが「破壊」のエネルギーでもあります。

性的なエネルギーを強く感じると「壊したくなる」「壊されたくなる」っと言う感情が湧いて来るように出来ている様です。これは性交渉などで起こる現象です。創造と破壊はワンセットっと言う記事を書いた事がありますが、性交渉は「生命の創造」でもありますが男女が「破壊」のエネルギーを感じる事でオーガズムが生まれる様です。

「破壊」のエネルギーによって「生命の創造」は生まれるわけです。

これが「相手」を好き過ぎて「暴力を振るったり」「殺したくなってしまう」原因に絡んで居るのでは無いか?っと推測しています。

つまり大切な人に暴力や殺意を覚える時、その人は「性的興奮状態」っと言う事です。確かに「好き」は「性」に結び付くエネルギーです。

これが、残念な事件を沢山、引き起こす原因になっているのかもしれません。

好きを手放そう

手放す以前にも言いましたが、ポジティブなエネルギーも、ネガティブなエネルギーも度を過ぎれば、どちらも、精神的におかしくなるエネルギーだと言いました。

特にポジティブなエネルギーは、とても気持ち良く感じるので「手放しにくい」っと言う性質があります。

しかし僕達が「程良く」ポジティブ、ネガティブのエネルギーを感じる為には「執着せずに」「手放す」必要があります。

つまり「良い事」っと信じて、そこに「囚われる」エネルギーも手放さなければならないと言う事です。

手放すっと言っても、じゃあ「好き」になる事は「ダメなの?」っと言う事ではありません。「良い事」「悪い事」っと突き詰めてジャッジしない心を持つと、程よく中間のエネルギーが取れて、エネルギーに振り回されて、理性を失う事は無くなるっと言う事です。

つまり、何事も「淡々と」「冷静に」「客観的に」自分を見るっと言う事です。

「中庸」のエネルギーとは、さざ波の立たない静かな水面の様な心です。心地よく静かな状態なのですが、人は結構この状態が「怖い」っと思う人が多い様に感じます。

全ての若い人に当てはまる事では無いかも知れませんが、特に若い人は、静かな状態を嫌がる人が多い様に見られます。騒音の様な音楽を好み、大声を出して暴れたり、騒いだり。エネルギーが満ち溢れてるっとも取れますが。心が静かになる事を恐れているようにも感じられます。

昔、僕の友達の働いてる職場で若い男性が居て「ラベンダーの匂いが嫌い」っと言っている人が居たのですが、その時僕は「その彼はリラックスする事が嫌なんだね」っと友達に言ったら「確かに、っと笑って居ました」

若い時は特に、性的なエネルギーに満ち溢れています。特にエネルギーを持て余してる若い男性は「破壊」のエネルギーに振り回されやすい状況であるのでは無いかと思います。

若い頃は、手放すのは難しいかもしれません、色々そこで過ちを犯し「反省」し「後悔」し「自分を責め」そして複雑な人格が生まれるのかもしれません。

経験も大切な学びです。沢山の経験を繰り返し「変わりたい」っと思った時が、何かを手放す時なのかもしれません。

程よい中間が心地よい…けど…

心地よい
以前にも言いましたが、僕らは「あっついお湯」にも「冷たい水」にも心地よく入る事は出来ません。僕らが心地よく入れる「水」と「お湯」には大体共通の適温があります。

それと一緒で、この世には「良い事」「悪い事」っとキッチリ決められないエネルギーがあります。ポジティブ、ネガティブなエネルギーに振り回されない為にも、心を心地よい適温のゾーンに置いて、冷静に自分を見られる心を持つことは大切な事なのかも知れません。

安心してください、例え「好き」を手放したとしても「人を好きにならなくなる」っと言う事は決してありません、ただ「好き過ぎて狂ってしまいそう」っと言う事は無くなるかもしれません。

「好き過ぎて狂いたい」っと言う人も居るかもしれませんが、そういう人には、手放す事は難しいかもしれません。

僕は、今まで狂おしい程に人を好きになった事が無いので、そういう経験をしてみたかったですが、最近はどうしても人をエネルギー的に見てしまう所があり、この人は、ココが長けてるけど、ココがまだ成長すべきところだな、っとしか見れなくなってしまった所があります。

今まで「この人は完璧だ!」っと思った人には会った事がありません。

それが「人間」ですし、僕らは未熟だから「この世界に生まれてきてるわけです」神様の愛を知ってしまうと「恋愛」は本当の「愛」では無いなっと分かってしまう所もあるので。

囚われを外そうと思う前に「人間的な生き方は心行くまで経験したか?」一応考えてから、自己浄化は進めた方が良いかもしれません。

ドロドロした生き方を心行くまで経験するのも、今生で肉体を持ってなければ出来ない生き方です。何が間違ってる、正しいでは無いでしょう。

何が貴方にとって心地よいか?なのかもしれません。


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