死んだ人への思いはニュートラルに

死これを書けっと降りて来たので、書きますが結構突っ込んだ内容になるかもしれません。こんな事書いて良いのかなーっと思うんですが感じるままに書きます。

少し前、僕は「介護福祉」の資格を取る為、学校へ通って居ました。その時二人も同じ学校に通っていた人達が「昔、恋人を亡くして忘れられない」っと言う状態でした。

「こんな事があるんだなー」っとビックリしましたが、死んだ人っと言うのは「美化」されやすくそのまま記憶に残り、そのままその人をその時の状態に止めてしまう様でした。

いまだに悲しみを引きずり、まだその時が昨日の事の様に涙を流している姿は正直、本人にも、亡くなった人にも良い影響は無いだろうなっと感じました。

僕も大切な人を全て亡くしています。「父、母、祖母、祖父」僕の家族、と呼べる人は誰一人居ません。しかし特に亡くなった人に特別な思いはありません。もう大分昔に、許せない思いも、亡くした悲しみも、手放してしまったからです。

よく皆さん、亡くなった人の形見っと言って、亡くなった人の物を手元に置いたりすると思います。しかし僕は一切の物を全て処分しました。正直、いい思い出ばかりではありません、辛い思いも多かったので「思い出したくない」と全てを処分し残って居るのは父と母の昔の写真だけです。

今は、思い出したくない思い出もありませんが、その写真も滅多に見る事はありません

僕としては亡くなった人に思いを馳せるより、今生きている自分が如何に、今生で生まれて来た意味を知って浄化されるかが一番大事なのです。亡くなった人は、僕が死んだときにまた会えます。

それ以上に今生の自分の人生の方が短いのです。

ぼやぼやしてれば僕らも直ぐに死んでしまいます。肉体に宿って居られる時間は少ないのです。

亡くなった人っと言うのは、もう現世の学びを終えて、元居た場所に帰ってしまう魂です。

しかし僕らは生きています。つまり僕らは残された時間を、これから肉体を持ちながら現実を感じ生きて行かなければならないのです。

死んだ人は、死んだ人。それ以上でもそれ以下でもありません。

よく、亡くなった人が現世に残された家族があまりに悲しんでいるので「心配で帰れない」っという話があります。全くその通りで、生きている僕らがいつまでも死んだ人に思いを強く持って居ると、死んだ人が成仏できません。

元居た場所に帰れば神様の「愛」が包み込んでくれる故郷に帰れると言うのに、何故現世に止め、悲しむ人の姿を見させ続けて辛い思いをさせなけれないけないのでしょうか?

死んだ人が、元居た場所に帰る為にも、自分がこの世界に生まれ浄化されるためにも、僕らは死んだ人に対してニュートラルな思いで居なければならないのです。

ご先祖を大切にする気持ち

ご先祖最近の若い人はどうか分かりませんが、歳を取ったお年寄りは「ご先祖」を気にする人が多い様です。毎日の様にお墓に通って、お墓をせっせと磨いている人も多い事でしょう。

「ご先祖」や「亡くなった人」を大切に思う気持ちは「良い事」でも「悪い事」でもありません。しかし時折「ご先祖を大切にしないと祟られる」とか「ご先祖を大切にしないから不幸になるのだ」とか「ご先祖を大切にすればいい事がある」っと意味を付ける人が居ます。

僕はこの人達を「ご先祖教」と呼んで居ますが。

ご先祖を大切にするのは良いですが「恐怖」に支配されて「やらなければならない」っとなってしまうのは「ちょっとどうなのかな?」っと思います。その人達を否定も肯定もしませんが

そうなってくると「この神様を信じないと地獄に落ちる」とか「この教祖様を信じれば幸せになれる」っと言う怪しげな信仰宗教と全く同じ領域になってしまします。

恐怖で支配する神様は「高い領域」の神様ではありません。

本当に高い領域の存在は「全てをありのまま」です「愛」の存在なので「自分を信じなければ祟りが起きるぞ!」などとは脅しては来ません。

見えないエネルギーは「意味を付けた通り」に動きますから「祟られる」っと意味を付ければそうなります。しかし、僕らは肉体を持って生きています。

この現世では「幽霊」や「低級霊」などよりずっと上の立場に居るのです。

「低い波動の存在」にネガティブな意味を与えて心の中に入り込まれる位なら、余計な意味を一切与えず侵入させない事が大切です。

貴方が、貴方の中に入る事を許さなければ、どんな物も貴方の中に入って来ることは出来ないのです。それは、どんなに高い存在でも、低い存在でも一緒です。

僕らもいずれ死にます。

死僕は、二十代の頃は何にも考えてませんでしたが、四十代に入ってくると「自分の死」について少し意識するようになってきました。八十まで生きれるか分かりませんが、折り返し地点に差し掛かってきたからでしょう。

介護と言う仕事をしていると、お世話をされているお年寄りを見て、歳を取る事に対して自分の未来を重ね合わせる時もあります。これから歳を取れば取るほど、思うように体も動かなくなってくるのかもしれません。

そう考えると「僕が元気で生きている間に出来る事は後何があるだろう?」っと思うようになりました。自己浄化も大切ではありますが、この世に僕として生きて居られるのは今生のこの時だけです。自分の本当にやりたい事をやらなければ、あっという間に人生終わるなっとも思ってます。

嫌な事を我慢してやり続け「お金」の奴隷になる生き方も、決して間違いではありませんが、自分の心に従って、本当に自分のやりたい事を見つけ、それに向かって行動を起こす事も大切かもしれません。

僕らは、この世に生まれた時から「死」に向かって走り出します。そして今生こういう目的でこの世に生まれて来た、っという課題も持って来ています。

死んで「あの時こうしてれば良かったのか」っと後悔しない為にも一生懸命「今この時」を感じて自分の思うように生きて行きたいものです。


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