第一章 神様!どうか、もう楽にしてあげてください!

病院
そう泣きながら、苦しむ母の腕をさすり続けたのは、今でも忘れられない、19歳の元旦の日でした。

その日は、9年間入退院を繰り返し、乳癌と戦い続けた。母の最期の日でした。

ガンが見つかった時は、すでに遅く、もってあと3年と言われた母でしたが、僕が成人する間際まで頑張って生きてくれた事を後になって感謝しています。

いつも喧嘩ばかりしていた、母と僕ですが、亡くなって、初めて自分は、母に愛されて居たのだなっと思い起こす事がいっぱいです。

息を引き取り、生きていた筈の母が、まるで人形のように、母からただの物質に変わっていく様子を僕は大きな声で泣きわめきながら、見届けました。

絶望感と、強い孤独感を感じながら、集中治療室の外へ出た時。テレビでは、年を越してお祝いムード、明るく楽し気なテレビの様子を見て、自分の絶望感とは全く関係なく世の中が動いて居る事を、恨めしく思い、自分だけが一人取り残されたようなどうしようもない気持ちでいっぱいになっていました。

今思うと、この出来事がきっかけで、僕の二十代は精神的に不安定な物に変わっていたのだと思います。

葬儀が終わり、時間は普通の日常に戻っていましたが、僕の中では、苦しんで死んでいった母の姿が、焼き付いて頭から離れませんでした。夜も眠れず、皆、いずれ自分の前から居なくなっていく!っという強い恐怖心でいっぱいになっていました。

母は、僕が小学校一年生の時に父と離婚、父には月に一回会う程度でした。母は、女手一つで僕の事を育てて行こうとしていましたが、ガンが見つかり、病気と闘いながらではとても、子供を育てられないだろうという祖父の判断で、母と僕は、母の実家に移ることになりました。

祖父は戦争時代を生き抜いてきた、とても厳格な人で、僕は小さい頃から、とても怖い人だと恐れていました。帰る時間も、ご飯を食べる時間も、生活の仕方も、とても厳しく、少しでも何か問題があると、大きな声で怒鳴られていたのを思い出します。

祖父は、僕に家を継いで欲しかった様ですが、僕にはそんな気持ちは更々なく、漫画の専門学校を卒業したら漫画家になるために、東京に行くと決めていました。

その事を、面と向かって祖父には言えず、自分の思いをつづった手紙を送り、思いを伝えました。それは、母が死んで数カ月がたった時の事でした。

するとそれから間もなく、まるで母の後を追うように祖父も心筋梗塞で倒れ、亡くなります。

僕はその時、家を離れて友人と二人で生活していましたが。親戚が、家に何度も電話をかけてきて、残された祖母を誰が面倒みるかで、常にもめていました。僕は、その騒動に精神的に耐えられなくなり、母の籍からはなれ、父の籍に戻ることを決めました。

それから、僕は父の助けを借りて、友人と二人で、東京へ上京する事となります。

第二章 漫画家への道の厳しさ