自分の中の常識を疑うー支配されない為にー

常識僕らは、沢山の常識の中で生きています。特に日本人は、常識やマナーなどに縛られている気がします。そこが日本人の良い所でもあり、悪い所でもあるかも知れません。

人に迷惑を掛けない節度のある心得は確かに大切かもしれませんが、常識に囚われ過ぎて「自分の価値観」を人に強いてしまったり、自由な選択が出来る筈なのに、出来なくなってしまったりするのは少し残念な気はします。

僕らは、小さい頃から色々な人から常識を学びました。まず僕が小さい頃、親に言われた事は「人に会ったら、必ず挨拶をする事」です。

多くの人が、親から挨拶の大切さを教わって居るのでは無いでしょうか?

しかしながら、常識っと言うのは人の数だけ存在します。皆が常に同じ常識の中で生きている訳ではありません。「挨拶の大切さ」を学ばずに「挨拶が出来ない人」っと言うのも居ますし、極度の人見知りで「挨拶が出来ない」っと言う人も居るかもしれません。

その時僕らは、ついついそんな人達を評価、ジャッジしてしまいます。

「あの人は挨拶も出来ない、親の教育が良くないんだ」

「挨拶しないなんて、何て感じの悪い人だ」

そう思ってしまう事は、仕方が無い事かも知れませんが、実の所「挨拶するかしないか」はその人の自由であり「挨拶はしなきゃいけない物」っと囚われているのは僕らの方かもしれません。

実際、何故挨拶しなければならないのでしょうか?

「感じが良い」「感じが悪い」はあるかもしれませんが、そこには「人に好かれたい」「人に悪く見られたくない」などの囚われもあるかも知れません。

また、挨拶をする事を誰も知らなかったら、挨拶する事は「当たり前」では無かったかもしれません。また、外国に行ったら、日本とは違う常識がありそうです。

これは、分かりやすい例として挙げましたが、この様な事だけでは無く色々な常識の中それを信じ込むことで、僕らの選択肢は制限されてしまう事は多いでしょう。

常識は僕らを縛って行く

常識例えば、沢山勉強して、いい学校に入って、良い会社に就職をして、結婚して、家を建てる。

仕事は辛いのが当たり前、お金は苦労して手に入れるのも、好きな事ばかりしていてはダメ、我慢は必要、お金は無駄遣いせず貯金する、楽する事は自分の為にならない、甘やかす事は悪い事

何となく思い浮かんだ事を言ってみましたが、僕らはそんな常識に支配されている可能性は十分にあります。

何となくですが、苦労する事は当たり前、人生はそんなに甘くない、辛いのはしょうがない、など自分の本当の心の声から目を背けさせるような常識が多い様な気がします。

実際、以前にも言いましたが、僕らの現実は僕らが意味を付けた通りになります。

辛く、自分の思い通りにならない現実を歩む人生にならない為にも、自分の中で無意識に信じ込んでいる常識を疑ってみる必要はあるかもせれません。

この世界で、成功する人っと言うのは、一般人とは違う視点を持って居ます。皆と同じ考えをしていては、飛び抜けて凄い物を作る事や、凄いアイディアと言う物はやってきません。

そんな人達は、常に「こうあるべき」っと言う常識を疑って新しい視点を見つけて居る筈です。

親が受けてきた支配は、子供に付いてきます。またメディアから、都合よく植え付けられる常識も沢山ありそうです。

「科学的根拠」は必ず信用できる物なのでしょうか?人の体に作用する「薬」は科学的根拠で作られたものだと思いますが、全ての人に同じように効くものではありません。

カロリーは取っただけ太るのでしょうか?どんなに沢山食べても太らない人も居ます。

タバコを吸ったら本当に肺がんになるのでしょうか?どんなに吸っても肺がんにならない人も居ます。また僕の父の様にタバコは吸わないのに肺がんになる人も居ます。

僕らの信じる「常識」にはどれだけの信憑性があるのでしょうか?

この世界に「絶対」は存在しません。

僕らの信じている事が、僕らの「現実」を作ります。

「全く何も信用するな!」っと言う意味ではありません。ただ、これらの常識で僕らは本当に自分の望む生き方を制限されているかもしれません。

ココで一つ、自由な生き方を選択する為に、貴方を縛り付けている「常識」を見つけ、一度疑ってみてはいかがでしょうか?


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