依存心のメカニズムー物質で愛の代用は出来ないー

依存この世界に生きていると、何かに依存してしまう事は良くある事です。

分かりやすい例で言うと、お酒とかギャンブル、などでしょうか?もっと色々ありそうですが、何かに依存する事は「良い事」でも「悪い事」でもありませんが、依存によって身を持ち崩してしまうのは気を付けたい所かもしれません。

例えば「お酒」に依存して体を壊してしまうとか、ギャンブルに依存しすぎて借金地獄とか、よくある事なのかもしれませんが「心の状態が健康」であれば、起きない現象ではあります。

では、依存とは一体何なのでしょうか?依存の正体についてお話しようと思います。

「依存」とは、満たされない心の状態を、何か代わりの物で埋めようとする事です。つまりそれをしていれば「生きている」っと多少なりとも感じる事が出来るからこそ、そこに走ってしまうのです。

人は満たされた状態で居れば、何かに依存する事はありません。何に満たされないのか?は人によって様々ではあると思いますが突き詰めて行くと「愛」に辿り着くはずです。

人は「愛」が枯渇すると「分かって居ても出来ない」っと言う現象に悩まされることになります。自分でも止めたいっと何処かで思って居るのだけれど止められないと言う状態になるのです。

人は、体の状態をキープする為には「食べなければ」なりません。食べ物が僕らのエネルギーになります。それと一緒で、僕らは精神状態をキープする為にも「エネルギー」が必要になります。それが「愛」です。

神様の「愛」は、実は無限に提供される様に出来ています。僕らは「受け取る」っと決めれば何時でも何処でも、好きなだけ「愛」を受け取る事が出来る様になっています。

しかし、その受け取り方を、僕らは「学校」で教えて貰う事は無いと思います。

つまりの所「愛」の受け取り方を知っている人が居ないのです。

「愛」の受け取り方は、実は「生まれながらに心得ている人」「全く分からない人」が居ます。この差については、転生の数や前世等が関わってきます。

僕は生まれた時から「見えないエネルギー」に関して何の抵抗もなく受け入れる事が出来ました。これは誰かに教えられた訳では無く、元々備わっていたものです。

勿論「愛」の受け取り方は、分かりませんでした。それは自分が生きて行く上で少しづつ分かって来て、出来るようになりましたが、当然その前は「何か」に依存して居た事は間違いありません。

「愛」ってどうやって受け取るの?

愛 受け取るそうなってくると、気になるのが「愛」の受け取り方だと思います。どうやって愛を受け取るかです。僕らは現実世界に生きていると「物質」や「目に見える物」しか信じられなくなる所がありますが。まず、自分が「肉体だけの存在ではない」っと言う事を自覚する必要があります。

「愛」を受け取る為には当然ですが「見えないエネルギー」の世界について理解をする必要があるのです。

以前にも言いましたが、僕らの「考えている事」「感じている事」「思って居る事」は、他の人の目に見える事はありませんが「確実に存在している」っと言う事はハッキリわかると思います。つまり僕らは「目に見える世界」と「目に見えない世界」の間に存在している存在なのです。

体を維持する為には「食べ物」を、精神を維持する為には「愛」が必要だ、っと言う事を自覚しなければ、愛を受け取る事は「不可能です」まず、この自覚が無くては「愛」に行き着く事は出来ません。

例えば、誰も食べ物を食べる事のない世界があったとしましょう、肉体を維持する為には「食べ物が必要だ」と分かっていなければ、貴方は「食べ物を食べよう」とはしない筈です。そして食べ物を食べる必要があるっと言う事と、食べ物を口に入れて呑み込む事、が分かって居なければ食べ物は「食べれません」

それと一緒で、私達は「愛」の存在で「愛を受け取る必要がある」っと言う事を自覚し「愛を受け取る」っと自覚しなければ「愛」を受け取る事は出来ないのです。

多くの人が「愛」から離れようとしている

愛 離れる僕らは元々「愛」の存在です。「愛」っとは全てを「ありのまま」それで良しっと認める事です。大抵の人は、自分の事を「ありのままそれで良い」っと認める事が出来ずに居る筈です。

「ありのまま」の自分から、かけ離れて行くと僕らは「愛」からどんどん遠ざかって行くようになっています。

そして「愛」は誰かから与えられる物ではなく「自分の内側から湧き上がって来る物」だと言う事を自覚しなければなりません。

この世界で「親」や「教育」や「メディア」などが訴える「愛」は実は「愛」ではありません。恋人や夫婦などのパートナーと言うのは「愛」を与える存在ではなく、お互いを「鏡」にし切磋琢磨する為のパートナーに他なりません。

「愛」と言うのは、自分が「愛」の存在である事を自覚し「自分の中で」「愛」に繋がり「愛」を湧き上がらせるしか「愛」に繋がる方法は無いのです。

つまり「愛」で貴方を満たす事が出来るのは「貴方」だけなのです。

その証拠に、例えば貴方が「結婚」して素敵な「子供」や「パートナー」に恵まれたとしましょう。しかしその時「幸せ」っと感じるのは「貴方の心」だと言う事なのです。外にある物はただの現象であり「幸せ」っと感じ、幸せを湧き上がらせるのは貴方の「心」なのです。その時、貴方が「愛」に満たされる時、貴方は外の世界を鏡にし自分の内側の「神様の愛」を感じているのです。

つまり、例え「お金」がいっぱいあろうとも、例え「良いパートナ」に恵まれようとも「貴方の心」がそこに「愛」を見出す事が出来なければ「愛」に繋がる事は不可能ですし例え一時的に満たされたとしても直ぐにまた満たされなくなるのです。

無限に「愛」を与え続ける事が出来るのは自分だけ

気付き「愛」の代わりを何かで埋めようとする事が「依存」っと言うお話でした。

「愛」っと言うのは常に流れて居て「無限」です。この無限の「愛」を他の物で埋めようとするっと言う事は「無限」に他の物を自分の中に提供しなければならないと言う事なので「際限」が無くなってきてしまいます。

それ位、僕らは「愛」を欲しているのです。

「際限」なく与え続けなければならないと言う事は「当然」そこには「お金」「健康」などの限界が出てしまいます。物質で「愛」を埋めようとするっと言う事はいずれ「限界」が来てしまいます。

自分の中を、「愛」で満たすと言うのはシンプルで簡単な事なのですが、僕らは難しくしてしまって居ます。「簡単な事を難しくする」のは簡単なのですが「難しくしてしまった事」を簡単にするのは、意外に難しい物です。

むしろシンプルに生きられる人は「依存」はしないかもしれません。

内の世界に「神様の愛」を見いだせた人は「どんな小さな事」にも「愛」を感じる事が出来ます。

他の何かで「愛」を代用しようとするよりも自分で「愛」に繋がり、シンプルに生きた方が「お金」にも「健康」にも良い事なのかも知れません。


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